宇喜多秀家
1597年に天守を完成させ、城下町を整えました。
OKAYAMA / OKAYAMA
黒い下見板から烏城と呼ばれる城です。宇喜多秀家が旭川の流れを城の東へ寄せ、1597年に天守を完成させました。不等辺五角形の天守台、時代の異なる石垣、川向こうの後楽園を一つの景観として見ると、城と城下の設計がつながります。

HISTORY
宇喜多直家が岡山へ本拠を移し、その子秀家が豊臣政権の有力大名として大改修を進めました。1597年に天守が完成したとされます。
関ヶ原後は小早川秀秋、続いて池田家が入城しました。池田家は本丸や城下を整え、旭川対岸には後楽園を築きます。
天守と石山門は1945年の空襲で焼失しました。現在の天守は1966年の再建ですが、月見櫓と西之丸西手櫓は江戸時代から残ります。
CHRONOLOGY
PEOPLE, OBJECTS & THE CASTLE
肖像や武具、城に残る意匠から、城主と城の関わりを時代順に紹介します。


秀家は豊臣政権の有力大名として天守と城下を整えました。関ヶ原後、城は小早川氏から池田家へ引き継がれます。
宇喜多期の不整形な天守台と池田期の月見櫓を分けて見ると、城が一度に完成したのではないことが分かります。
1597年に天守を完成させ、城下町を整えました。
関ヶ原後に入城し、城郭を改修しました。
1632年に入城し、池田家の岡山藩政を始めました。
宇喜多・小早川・池田各時代の石垣が城内に残ります。石の形と積み方を比べると、城主交代が年表ではなく風景として見えてきます。
再建された天守に対し、月見櫓は近世から残る建物です。二つを同じ画面で見ると、現存と再建という来歴の違いを実感できます。
岡山城は旭川を背にし、対岸に後楽園が広がります。川、城、庭園を一緒に歩くと、防御と景観を組み合わせた城下の設計が分かります。
FORTIFICATION
本丸の地形に合わせた古い平面です。天守の足元を回り、角度の違いを見ます。
宇喜多、小早川、池田の改修が石の加工と積み方に表れます。
川を東側の天然の堀として利用しました。月見橋から城と後楽園の距離を確かめます。
1620年代に建てられた現存建物です。城外側は防御、城内側は眺望を意識した二つの表情があります。
FIELD ROUTE
見どころを見落とさず、入口から出口まで歩きやすい順に紹介します。工事や入場規制がある日は、現地の案内に従ってください。
内下馬門跡から本段へ上がり、石垣の積み方を見る
不明門を通り、天守台の不整形を確認する
天守展示で宇喜多・小早川・池田の順に追う
月見櫓を外側と城内側から見比べる
月見橋を渡り、旭川が堀になる配置を見る
後楽園から岡山城の黒い外観を眺める
FOOD, TEA & ONSEN
岡山藩の政治と、晴れの日の食卓を結ぶ由来を紹介します。

藩政との由来伝承
農林水産省は、岡山藩主・池田光政が出した「一汁一菜」の倹約令に対し、魚や野菜を酢飯に混ぜて一品にしたことが始まりと伝わる、と紹介しています。光政の好物ではなく、城下の工夫を語る料理です。
農林水産省「ばらずし」で確かめるVISIT DETAILS
大人一人の通常料金と、見学できる時間、休館日、車で訪れる場合の駐車場をまとめました。年齢区分、団体料金、特別公開は公式案内でご確認ください。
確認日 2026.07.31。料金・開城時間・駐車条件は催事や工事により変わる場合があります。
DAY PLAN
CASTLE TOWN ROUTE
岡山城と後楽園は旭川を挟んで向かい合います。城内から庭へ渡り、最後に芝と池の向こうへ天守を置くと、藩主が構想した景観のまとまりが見えてきます。
所要時間の目安 追加90〜150分

WALKING ORDER
岡山城天守と石垣を見学する
月見橋を渡って岡山後楽園へ
林原美術館で池田家伝来の甲冑や刀剣を見る
大名庭園
岡山藩主・池田綱政が築かせた大名庭園です。芝地、池、水路、建物を巡りながら、旭川対岸の岡山城を景色の一部として眺められます。
公式情報を見る美術館
旧岡山藩主池田家伝来品を中心に、甲冑、刀剣、能装束、書画を所蔵します。公開資料は企画展ごとに替わるため展示予定を確認します。
公式情報を見る所要時間は移動と通常の見学を含む編集部の目安です。開館日、料金、展示内容は各施設の公式サイトでご確認ください。
AROUND THE CASTLE
BOOKS & DOCUMENTS
宇喜多・小早川・池田の各時代の石垣と、旭川を挟んだ後楽園の成り立ちを扱う本を紹介します。
本文は各城の公式解説、自治体・文化財情報をもとに編集部が要約しました。伝承は確定事項と分けて記載しています。