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MATSUMOTO / NAGANO

松本城

黒い下見板の天守は、戦国末期の大天守と、平和な時代に月を眺めるため加えられた月見櫓を一度に見られる稀有な建築です。外からは五重、内部は六階。暗い中間階、急な階段、厚い壁を順にたどります。

現在見られる主な建物・遺構
1593–94年頃 現存天守群
主な城主
石川数正・康長、松平直政
城の立地と天守の構造
平城・連結複合式天守
内堀越しに望む松本城の天守群
Image: Manishprabhune / Wikimedia Commons / CC BY 4.0

HISTORY

築城から現在まで

前身の深志城は1504年頃の築城と伝わり、1550年に武田晴信が攻略しました。1582年、旧領を回復した小笠原貞慶が松本城へ改称。城名の変化は、支配者が入れ替わった信濃の政治状況を映します。

1590年に入城した石川数正と康長は、城下町と天守の整備を進めました。公式見解では、大天守・乾小天守・渡櫓は1593〜94年頃の築造。鉄砲戦を意識した狭間や石落とし、厚い壁を備えます。

1633年、松平直政の時代に辰巳附櫓と月見櫓が加わりました。防御のため閉じた大天守と、朱塗りの廻縁を持つ開放的な月見櫓の対比が、戦国から泰平への転換を語ります。

CHRONOLOGY

  1. 深志城が築かれたと伝わる
  2. 武田晴信が深志城を攻略
  3. 小笠原貞慶が松本城へ改称
  4. 石川氏が大天守群を築く
  5. 松平直政が辰巳附櫓・月見櫓を増築

PEOPLE, OBJECTS & THE CASTLE

石川氏が築いた天守、戸田家が残した武具、松平直政の月見櫓

肖像や武具、城に残る意匠から、城主と城の関わりを時代順に紹介します。

ARCHIVE / DOCUMENT長篠合戦図屏風に描かれた石川数正
長篠合戦図屏風に描かれた石川数正Image: Unknown / Wikimedia Commons / Public domain
RECONSTRUCTION / REFERENCE松本城鉄砲隊による番筒型火縄銃の現代実演
松本城鉄砲隊による番筒型火縄銃の現代実演Image: GunSamurai / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
ON SITE / STRUCTURAL DETAIL松本城天守一階の木柱と板敷きの内部
松本城天守一階の木柱と板敷きの内部Image: lumoplank / Wikimedia Commons / CC0

石川数正と康長が戦うための天守群を整え、松平直政が泰平の月見櫓を加えました。その間に城主となった戸田家の資料には、甲冑、刀、紋瓦が残り、建築だけでは見えない藩主と家臣団の履歴を補います。

城内の鉄砲展示や実演は、狭間の高さと射撃姿勢を考える手がかりです。ただし掲載写真は現代の実演であり、城内所蔵の歴史的な火縄銃そのものではありません。

熊皮の冑を備える戸田家伝世甲冑

江戸時代。戸田康長着用と伝わる松本市重要文化財で、離れ六つ星紋が各部に見えます。

野々山家伝来拵付大小

戸田家家臣の伝来刀。松本在城中の取得品ではないと公式解説が注意しています。

離れ六つ星紋瓦

大手門枡形跡から出土。甲冑の紋と同じ標識を建築資料で確かめられます。

三つの資料から分かること

01

六つ星が、戸田家と城をつなぐ

甲冑と出土瓦に見える離れ六つ星は、戸田家がこの城を受け継いだ証しです。建物だけでは見えにくい城主家の存在が、小さな紋から立ち上がります。

02

月見櫓には、戦の後の時間が表れている

閉じた天守群に対し、月見櫓は外へ開いた構えです。二つを続けて見ると、城が戦いの備えから客を迎える場へ役割を広げたことが伝わります。

03

鉄砲隊の実演で、狭間の高さが現実になる

掲載写真は歴史的な火縄銃そのものではなく、現代の再現です。それでも射撃姿勢と狭間の位置を見比べることで、天守内部がどのように使われたかを具体的に想像できます。

所蔵館・文化財の公式解説を見る

FORTIFICATION

城を守るために、石垣・堀・門をどう配置したか

五重六階

外観から数えにくい暗い中間階があり、敵に内部構成を悟らせにくくします。

鉄砲狭間と矢狭間

壁面の開口を用途で分け、内堀を渡る敵を正面と側面から狙います。

石落とし

張り出した床から、石垣に取りつく敵を真下に見る仕掛けです。

筏地業(いかだじぎょう)

軟弱地盤で沈下を抑えるため、基礎に材木を組んだ構造が確認されています。

FIELD ROUTE

初めてでも迷いにくい見学順

見どころを見落とさず、入口から出口まで歩きやすい順に紹介します。工事や入場規制がある日は、現地の案内に従ってください。

  1. 01

    太鼓門から二の丸御殿跡へ。平城の広がりを見る

  2. 02

    黒門から本丸へ入り、内堀越しに五棟のつながりを確認

  3. 03

    地下階で石垣と柱の納まり、保存された鯱を見る

  4. 04

    暗い階と急階段を上がり、戦うための天守を体感

  5. 05

    乾小天守・渡櫓の位置を窓から読み直す

  6. 06

    辰巳附櫓と月見櫓で、開放性が増した江戸初期の増築を見る

FOOD, TEA & ONSEN

城主のために設けられた御殿の湯

松本城下では、城主と温泉の関係を場所までたどれます。

松本市の浅間温泉会館
Image: Qurren / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

公式資料で確認

浅間温泉・御殿の湯

松本市は、浅間温泉に松本城主の入浴所だった「御殿の湯」が置かれたと解説しています。城を歩いたあとに浅間温泉へ向かうと、城主の生活圏を市街地の外までつなげて考えられます。

松本市「浅間温泉天満宮」で確かめる

VISIT DETAILS

見学料金・開館時間・駐車場

大人一人の通常料金と、見学できる時間、休館日、車で訪れる場合の駐車場をまとめました。年齢区分、団体料金、特別公開は公式案内でご確認ください。

入城・入館料
大人は電子券1,200円、当日紙券1,300円。小・中学生は400円です。
開城・開館時間
通常8:30〜17:00、最終入場16:30。大型連休やお盆は延長される場合があります。
休城・休館日
年末を中心に休城日があります。日付は公式カレンダーで確認します。
公営・指定駐車場
松本市営松本城大手門立体駐車場は30分150円、7:30〜22:30。開智駐車場は1時間200円、以後30分100円です。無料の市営駐車場はありません。
駐車場から
いずれの市営駐車場からも松本城まで徒歩約8分。JR松本駅からは徒歩約20分です。
訪問前の注意
木造天守内は急な階段が続きます。入場待ち時間と靴、手荷物の大きさを先に整えておくと安心です。

確認日 2026.07.31。料金・開城時間・駐車条件は催事や工事により変わる場合があります。

DAY PLAN

松本城を巡る時間と費用

滞在
天守45〜60分+二の丸で約2時間。混雑期は余裕を加える
交通
JR松本駅から徒歩約20分。市内周遊バスの利用も可能
予算
入城・昼食・市内移動で4,000〜7,500円ほど(宿泊を除く編集部目安)

CASTLE TOWN ROUTE

国宝二棟で、城下町の四百年をつなぐ

松本城から旧開智学校へ歩けば、武家の時代から近代教育の町へ移る流れを建物でたどれます。黒い天守と擬洋風校舎の対照も、この町ならではです。

所要時間の目安 追加90〜120分

国宝旧開智学校校舎
Image: Wiiii / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

WALKING ORDER

  1. 01

    松本城の北側から旧開智学校へ歩く

  2. 02

    擬洋風の正面意匠と教室内部を見る

  3. 03

    市街地へ戻り、松本市立博物館で城下町の暮らしを補う

国宝建築

旧開智学校校舎

明治九年に完成した擬洋風建築です。天使、龍、雲など異なる意匠が同居する正面を、松本城の木造天守と見比べると町の変化が見えてきます。

公式情報を見る

博物館

松本市立博物館

松本城下の成立から商業、祭礼、近代の暮らしまでを扱います。城の年表だけではつかみにくい、市民側の歴史を補える場所です。

公式情報を見る

所要時間は移動と通常の見学を含む編集部の目安です。開館日、料金、展示内容は各施設の公式サイトでご確認ください。

AROUND THE CASTLE

城下町で食べる・泊まる・持ち帰る

泊まる

松本ホテル花月

城下町の歩き旅と相性のよい市街地の宿。

公式情報を見る

食べる

ヒカリヤ

歴史ある建物で松本の食文化に触れる選択肢。

公式情報を見る

BOOKS & DOCUMENTS

松本城の天守と月見櫓を知る本

五重六階の天守が戦いに備えた構造と、月見櫓が加わった背景を図面や城主の記録から確かめます。

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主な出典

本文は各城の公式解説、自治体・文化財情報をもとに編集部が要約しました。伝承は確定事項と分けて記載しています。

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